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近年、半島では民族意識の高まりからか滑稽な韓国起源を主張する人々が増えてきました。
これらの人々は真実を広める私たちには、はっきり言って邪魔な人々です。 彼らのせいて、私が真実を伝えようとしてもすべて滑稽な韓国起源として受け入れられなくなってきております。 彼らの主張するものは 侍:サウラビが侍につながったという、強引な言葉遊び 折り紙:各国で自然発生的にうまれたものでしょう。半島からひろまったものとは思えません。 飛行機:^^; 世界の四大文明:・・・・・ 人類:・・・・?? など、滑稽な主張が多く困ったものです。 皆さんはこれらの雑音的情報に惑わされずに真実を見分ける能力を身につけてください。 これからもこのブログでは真実を追究し続けます。 ▲
by corea_true
| 2008-08-13 02:00
今、皆さんが楽しく読んでいる「三国志演義」は韓半島出身の陳寿が記録した三国時代の歴史書を元にこの歴史を広く楽しく知ってもらうために高麗の恭愍王が高麗の宮廷内作家羅貫中に命じて作らせたものです。
この試みは大成功し、多くの人々に演義は読まれております。 中国の歴史は常に韓半島で記録されてきました。中国では戦乱が続き記録された歴史書は焼き払われるなどの難事に会いほとんど残らないため、自然と韓半島の学者により記録されてきました。 主な韓半島の歴史記録者としては 史記をあらわした司馬遷 三国志をあらわした陳寿 魏書をあらわした魏収 等があげられます。 彼らは、戦乱の中国を旅し歴史を記録し韓半島に持ち帰ったのです。 さて、皆さんが一番中国の歴史の中で親しみがある三国時代ですが、この中で韓半島は大きな影響を与えています。 三国時代、魏、呉、蜀の三国が争った時代ですが、常に三国は高句麗に対して礼儀を尽くし高句麗王の定めたルールの中で領土を争い戦い続けました。 高句麗王は民が大きな被害を受けないことを第一に争うように三国に命じ三国は時には逸脱しながらもルールの中で戦ったのです。 また、各国の戦いがルールの中で行われるように、高句麗王は国内の武将を三国に派遣しました。主な韓半島出身の武将は ・魏 夏侯惇 張遼 ・呉 甘寧 ・蜀 関羽 張飛 等があげられます。 特に関羽は本来ならば韓羽と呼ばれていた人物です。 三国時代も末期になり、当初高句麗王の定めたルールを逸脱することが目立つようになってきました。高句麗の東川王はこれを憂い、三国時代を終わらせる決断をしました。 東川王は三国の中でも一番、ルールにのっとり戦っている魏に統一させることにし、司馬懿を魏に派遣しました。司馬懿と彼の部下は三国時代を終焉させるべく積極的に動きました。 この終戦事業は高句麗の中川王、西川王へと受け継がれ、実行役も司馬懿から司馬師、司馬昭、そして司馬炎へ引き継がれ、とうとう中国の戦乱時代を終わらせるのです。 西川王は統一した国家に伝統的な国号「晋」の名前を与え、司馬炎にその国を治めさせました。中国の民はみな半島の偉大なる王に頭を下げて感謝したのです。 さて、もうすぐオリンピックが北京で開催されますね。 このような平和の祭典が中国で行えるのも、半島が常に中国の発展を見守り、そして育てたおかげかも知れないですね。 ▲
by corea_true
| 2008-08-03 00:13
日本の国旗、日章旗は歴史のあるシンボルです。
今でも休日等で使用されることが多いですね。 韓半島では、愛国者の集会でよく燃やされたり、引き裂かれたりしています。 これはいくら抗議の上でもやりすぎでしょう。 さて、この日章旗ですが韓半島より日本に授けられました。 西暦551年、29代目の日本王欽明により高句麗の陽原王に日本の国の象徴となる印を授けて欲しいとの依頼がありました。 陽原王は印の決定にあたり、学者達に以下の指示をだしました。 ・東の地をあらわすもの ・わかりやすいもの この指示を2年検討し西暦557年、使節により日本にいまの日章旗の原型が欽明王のもとに届けられました。 欽明王は大変喜び、高台にこの印を提示して国中の民にこの旗の方向に向かわせ正座をさせ頭を下げることを要請しました。民達は涙を流して喜び頭を下げたそうです。 この印は旗となり儀式の際に常に使われるものとなっていきました。 そしてこの旗は日本のシンボルとしての地位を高めていくのです。 そして日本は明治時代に入り、国際的に国旗としてこの旗を取り扱うことにし、その許可を明治政府は朝鮮国王高宗王に使節を送りました。 高宗王はこれを歓迎し、祝いの言葉を使節に送り日本の国旗とすることを認めたのです。 皆さんは国旗を誇りにしてください。 一部の日本の左翼に惑わされて捨ててはいけません。 そして、国旗を見るとき陽原王の日本への愛を思い出してください。 ▲
by corea_true
| 2008-08-01 01:12
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